76景 神田紺屋町(安政4年(1857年)11月改印)
76景 神田紺屋町(平成30年(2018年)10月撮影)
神田紺屋町は、慶長年間(1896-1615)徳川家康から関八州と伊豆の藍買付けを許された紺屋頭・土屋五郎右衛門が支配し、藍染職人が集住した町。
現在の地図で、神田駅の東側、昭和通りの手前あたり。
今でも、「神田紺屋町」、「神田東紺屋町」、昭和通りの「紺屋町交差点」として地名が残る。
かつて、神田紺屋町付近には藍染川という人口河川が流れており、染物をこの川で晒していたとのこと。
現在の地図と安政年間の地図を重ねてみると、神田駅南側の広い一方通行の道路の一本南側に川があったことがわかる。この藍染川は明治時代に埋められてしまったが、「今川橋」等の地名に名残をとどめている。
さて、広重が描いたころの神田紺屋町は、藍や紺の手染めの布が、あたかも万国旗のように町を彩っていたようだが、現在は染物屋は見当たらない。
当然、万国旗のように町を彩っていた染物など皆無なので、町の案内板を手染めの布に見立てて写真に収めた。
広重の絵には富士山が描かれているが、現在では見えるはずもなく...
【参考文献】
千代田区ホームページ 町名由来板:神田紺屋町
東京都下水道局ホームページ 神田藍染川



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